写真:本人Instagram lanlan_suzuki より
1990年代にCMやドラマ、安室奈美恵さんとのユニット「シスターラビッツ」で活躍をしていた鈴木蘭々さん。
【上田と女が吠える夜】に出演するので、現在は結婚しているか?子どもはいるか?などの暮らしぶりや、現在の活動、実業家として起業していることなどを、調べてみました。
元気でキュートなイメージだった蘭々さんの現在の暮らしを是非ご覧ください。
鈴木蘭々さんは結婚してる?お子さんは?
鈴木さんは今まで結婚をされたことはなく、独身生活(猫ちゃんが家族♡)を送っています。
なので、お子さんもいません。
60歳くらいで結婚出来れば…と語っていたこともありますが、現在49歳⦅2025年6月時点⦆で、10年後くらいに結婚するのかどうか・・・良い人が見つかるといいですね。
Instagramを拝見すると、可愛い猫ちゃんたちとの愉快な生活を送っているので、独身生活を謳歌しているようにみえました。
ただ、2年前にマロちゃんが、今年の2月に風太くんがお空へ逝ってしまい、今は一人・・・とても辛そうですが、また心が落ち着いたら、保護猫ちゃんを迎え入れるかもしれないですね。



本人Instagram:lanlan_suzuki より(風太くん、マロちゃん)
鈴木蘭々さんの現在は?
2014年12月、WOORELL(ウーレル)を設立、基礎化粧品ブランドNARIA COSMETICS(ナリアコスメティックス)を立ち上げ、商品のプロデュースを開始。
ブランド名:NARIA COSMETIC(ナリアコスメティック)
コンセプト:肌にも心にもやさしい、自然由来成分を使ったスキンケアブランド
特徴:合成香料・着色料・パラベン・アルコール不使用。敏感肌の方でも使える処方にこだわっている

「もともと肌は強かったのですが、25歳ぐらいでお肌の曲がり角っていうのがやってきて、大人ニキビが顎のあたりにたくさんできてしまい、とても悩まされました。皮膚科にも行ったけど全然治らない。いままでトラブルとは無縁の肌だったので、周りとしては心配の気持ちもあったんでしょうけれども、周囲の視線や言葉がとてもストレスになった時期がありました。私の幼なじみは子どもの頃からアトピーに悩んでいたのですが、その子のお母さんはオーガニック商品を扱うお店を経営されていて、その子から肌荒れのときでも使える化粧品を紹介してもらったんです。それがとてもよくて、そんなことがきっかけで、自然派の商品や成分などそういったものに興味を持って使う物への意識が変わっていった感じです」
引用:STORY web
上記で語っているように実体験から、肌にやさしい・自然派商品に興味をもち、自分で作ってみようとブランドを立ち上げました。それには、解剖生理学を学んだり、日本化粧品検定1級、コスメコンシェルジュ取得等々とても勉強されています。ただやりたいだけでなく、きちんと学び知識を増やしそれを活かしていく・・・なかなか出来ることではないですよね?素晴らしいです。
鈴木蘭々プロフィール
名前:鈴木蘭々(すずき らんらん) 本名:鈴木智子
生年月日:1975年8月4日(49歳)_2025年6月時点
出身地:東京都練馬区
血液型:A型
経歴:中学1年生で、アイドルに憧れスカウトされたくて原宿を歩きまわっていたところ、見事にスカウトされ事務所に所属しました。が、CMオーディションにも受からず鳴かず飛ばずの状態。アイドルといわれるには遅咲きで18〜19歳くらいから仕事が忙しくなり始めた。
1989年、本名の鈴木智子として資生堂のCMでデビュー。当時は長髪で、CMや雑誌の表紙などのモデルで活躍。
1992年、岩井俊二監督のテレビドラマ「GHOST SOUP」にて、女優デビュー。
1993年、在籍していたモデル事務所から、ミナクル・カンパニーへ移籍。バラエティやドラマに多く出演し、フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』内のコント「改造人間カスタムひかる」で、松本人志扮する「若松ひかる」の妹・きらり役で注目を集める。
1994年からポンキッキーズにレギュラー出演!!
フジテレビ系列の子供番組『ポンキッキーズ』にレギュラー出演。同番組で同時にレギュラーとなった安室奈美恵とのユニット「シスターラビッツ」として出演し、一躍ブレイク。
ボーイッシュなショートヘアと明るいキャラクターで人気になり、バラエティアイドルとして活躍。
双葉社 THE CHANGEのインタビューで、当時の事を語っていますが、
「いま振り返っても当時の記憶がほとんどないくらい忙しく働いていたと思います。」
「当時はよく病院のお世話になっていた記憶があります。お腹が痛くなったり、夜中に点滴を打ちに行ったり。昼間は仕事で行けないので救急で行ったりしていました」

安室ちゃんと、シスターラビッツ

2024年4月、ガチャピン・ムックと・・・Instagramより
あまりにも忙しく、目まぐるしい日々だったのが伺えます。大きく体調を崩さないで良かったです。
1998年、1年仕事を休み、ニューヨークに留学。帰国後は復帰したが、現在の自分と世間が求めているイメージと合致しないと感じ、事務所を移籍し活動の主軸を舞台にする。
実は18歳の頃、お兄さんが亡くなっています
8歳上の知的障害のあるお兄さんが心臓麻痺で26歳で逝去されました。
「知的障がいのある兄との生活から、私は大きな影響を受けています。私は、世間から兄に向けられる視線やかけられた言葉に疑問を持ち、兄を通してみる世界がとても冷たく思えました。本当に心から優しく接してくれる人なんて、この世にはとても少ないんじゃないかと考えることもありました。」
デビュー曲である「泣かないぞェ」の歌詞など、家族に障害を持つ兄がいたことは鈴木さんの人生観に大きく影響を与えているといいます。
その時の状況をCHANTO WEBで次のように語っています。
「いまでも覚えています。東京ドームで行われたマドンナさんのライブの帰り、自分もあんな素敵なステージに立てるようになりたいとワクワクしながら、駅からJR中央線に乗ったところで、ポケベルに連絡が入って兄の死を知りました。たまたまその日は、私がひとり暮らしを始めて2日目。ひとり暮らしする引っ越しのときに、風邪気味の兄に「私、引っ越すから、この家には帰ってこないからね、じゃあね」「うん」と、カーテン越しに顔をあわせずに声をかけて出てきたんです。その2日後、兄は突然、天国の住人になっちゃった…。」
兄については、本当にひと言で語りつくすことはできません。障がい者としてこの世に生まれ、あっけなく死んでしまった。しばらくの間、「彼の生きた意味は何だったのか?」と、考えたくないのに、いつもそんな思いがぐるぐると頭の中をめぐっていました。妹の私から見ても、兄は世間の冷たい視線や言葉を浴びることが多いように感じました。プラスとマイナスなら、マイナスな扱いばかり受けて、さらにこの世から早くいなくなってしまうなんて、一体どういうことだろうと。
そして兄が亡くなってすぐ、私の運命が変わり、売れ始めたんです。だから、兄の死と引き換えに私の幸運が舞い込んでいるんじゃないか、と受けとめてしまうこともありました。」
そういう辛い思いを抱えながら、あの頃、いつも明るく元気にしていた鈴木さん。心はとても悲しかったのに、どんどん売れていく自分との差にとても辛かったと思います。18歳でそんな辛い経験をしていたなんて本当に思えなかったですね。
まとめ
1.鈴木蘭々さんは、今まで一度も結婚しておらず、お子さんもいません。
猫をこよなく愛し、生活を共にしていましたが、今年2月に風太くんが虹の橋を渡って、
今は、1人の生活です。(2025年6月時点)
2.現在は舞台を中心に活躍しているかたわら、自分で作ってみようと、NARIA COSMETIC(ナリアコスメティック)というブランドを立ち上げ、スキンケアグッズを販売しています。
その為に、解剖学を学んだり日本化粧品検定やコスメコンシェルジュを取得しました。
ショートカットの元気で明るい女の子のイメージだった鈴木蘭々さん。
現在は49歳(2025年6月時)になっています。ただやはり元気で明るいとい感じはInstagram等を拝見していると現在でも感じられますね。
6月18日(水)21:00からの上田と女が吠える夜【選択的おひとり様】一人で生きることを選ぶ女たちに鈴木蘭々も出演されます。是非ご覧ください。
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